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Posted by たまりば運営事務局 at

2014年07月21日

はじまり

引き続き椎葉村観光協会の説明: 「椎葉」の名の由来



椎の葉


『平家追討の命を受けた、那須与一宗高の弟大八郎宗久が、豊後
路から鞍岡を経て、 後に「椎葉」と呼ばれるこの地に入った、といわれています。
大八郎が椎葉に入るや、椎の葉を以って陣屋を設け追討の拠点にしたことが「椎葉」の名の由来であります。
そして、まさにその陣屋跡が十根川地区の中心地(那須忠氏所有の畑)であったとされています。』 とのこと。



注:

1.文中にある「椎の葉を以って」とは、「椎の葉で以って風を防ぎ」 ということで、当時の陣屋は俄か
  造りなのだろう。
2.「与一」は彼の有名な弓の名手「那須与一」。 与一は“余一”つまり11番目の子。与一は当時病
  のため出陣出来ず、大八郎が替わって出陣した。
3.「鶴富姫」は、平清盛の末孫だという。  


  • Posted by henbo at 07:15Comments(0)椎葉村

    2014年07月20日

    はじまり

     椎葉村観光協会から転載。   「椎葉村」のいくつか



        宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良字十根川
        椎葉村観光協会 TEL:0982-67-3139


    鶴富屋敷
    那須大八郎と鶴富姫の悲恋の舞台です。
    大きく太い材料を使用した椎葉独特の型式で建てられています。
    その建設技術からおよそ300年前と推察されています。



    椎葉厳島神社

    壇ノ浦の戦いで破れた平家一門討伐の命を受けた那須大八郎宗久が、椎葉山中での平家残党の叛意なき姿を深く哀れみ、平家尊々の安芸の宮島、厳島神社の守護神を歓請し建立したものとされています。


    椎葉ダム

    九州電力管理の発電用ダムで、高さ111m、長さ341m、総貯水量9155万立方のアーチ式コンクリートダムです。日本で始めての大規模アーチダムで、その後の日本の土木技術に多大な影響を与えました。


    石垣と建物群

    この地区は「椎葉型」といわれる独特の建築様式の民家とそれに機能的に隣接する馬屋・倉、そして屋敷を構築する石垣が樹木林と程よく調和し、歴史的景観を保持しています。

    感想:

    宮崎には色々ご縁があり、機会を作り、他の所の観光も兼ねて、「椎葉」には行ってみたいと、思う。
      


  • Posted by henbo at 07:15Comments(0)椎葉村

    2014年07月19日

    はじまり

    「山椒」で思い浮かぶのは、民謡「ひえつき節」。

     1.庭の山椒(さんしゅう)の木 鳴る鈴かけて

    ヨーオー ホイ

      
       鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ


    平家の落人部落・宮崎県椎葉。 平家残党の追討に向かった、那須大八郎宗久と鶴富姫との
    恋をうたった歌。

     2.鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ 

    ヨーオー ホイ

       
      駒に水くりょと 言うて出ましょヨ


    大八郎は来てみたものの、静かな里の空気に触れ、任を捨て、椎葉に永住を決意する。
    その中で、鶴富姫との出会いがあり、二人は鈴の音を合図に逢瀬を重ね、そして結ばれる。

     3.おまや平家の 公達ながれ

    ヨーオー ホイ


       おどま追討の 那須の末ヨ


    運命の不思議な出会いであった。そして・・・・・。

    鶴富姫は子を宿したが幸せな日は続かず、幕府からの帰還命令。 
    泣く泣く二人は別れる定めとなった。 
    このことは以下に続く歌詞にうたわれている。

     4.那須の大八 鶴富捨てて

     
    ヨーオー ホイ


       椎葉立つときゃ 目に涙ヨ


    この民謡はもともと、稗搗き作業の労働歌であったものを、近代に歌詞を創作したものだという。
    ゆっくりとした哀調を帯びた節回しに、歌詞が良く溶け合っている。

    討伐(争い)を捨て、共に生きる生き方は、教訓的な物語になっている。


      


  • Posted by henbo at 07:15Comments(0)椎葉村