2014年08月26日
わん・にゃん 随想
「あきるの」の地名 ―その由来
あきる野市教育委員会発行、「郷土あれこれ」より。
阿伎留神社
柏 杜: 僕の名前にも意味があるし、地名にも何か意味があるんだろうが、
「あきる」は分からないなあ。
説明では、こういうことらしい。
この地方は前々から、阿伎留(秋留)といわれ、古くからある「阿伎留神社」と関係がある。
「阿伎留神社」はもと、「畔切神社」と書いた。 これがヒント。
「畔切」は畔(あぜ)を切り開く = つまり開拓の意味。
「畔切神社」は土地を切り開く、開拓者集団の守り神だった訳。
そしてその後、「阿伎留」という書かれて行って、 この地方は「あきる野」と呼ばれていた
ということ。
かんな: へえ、そんな意味があったんだ。 フロンティア精神なんだにゃあ。
あきる野市教育委員会発行、「郷土あれこれ」より。
阿伎留神社
柏 杜: 僕の名前にも意味があるし、地名にも何か意味があるんだろうが、
「あきる」は分からないなあ。
説明では、こういうことらしい。
この地方は前々から、阿伎留(秋留)といわれ、古くからある「阿伎留神社」と関係がある。
「阿伎留神社」はもと、「畔切神社」と書いた。 これがヒント。
「畔切」は畔(あぜ)を切り開く = つまり開拓の意味。
「畔切神社」は土地を切り開く、開拓者集団の守り神だった訳。
そしてその後、「阿伎留」という書かれて行って、 この地方は「あきる野」と呼ばれていた
ということ。
かんな: へえ、そんな意味があったんだ。 フロンティア精神なんだにゃあ。